「ユウ、あんたさ。うちのクルーにならない?」
シーエルダー号の食堂の片隅で、その子は言った。右手に持ったラム酒をぐいっとあおって、さっきからずいぶん沢山飲んでいるはずなのに、あった時と変わらないけろっとした顔。
「無理だよ。冗談でしょ?」
初対面の人にする会話じゃないよね、そういう勧誘って。
簡単にうんって頷けるわけがないよ。
「いや? 悪い話じゃないと思うけど? 船長はああ見えてイイ奴だから、出身がどこかなんて気にしないし、ちょいとむさっくるしいところだけど、すんでみりゃこの船は結構居心地がいいしな。クルーになっちまえばユウも一人で遺跡もぐる必要なんてなくなるだろ? 私達と一緒に留守番してればさ」
「でも……」
「ならさ、この島に居る間だけなら、どう?」
「この島にいる間だけ?」
「そ、船の修理を手伝ってくれりゃいい。ほら、こんな船だろ? 慣れちゃいるんだけど、やっぱり女手は少ないからさ。あんたみたいな話し相手が居ると嬉しいじゃんか」
理由を言う時だけ、その子は少し早口になる。その些細なしぐさが、その子の言葉が本心からの言葉なんだって、私に教えてくれる。
悪い話じゃないのは、わかってるんだ。
ちょっと遺跡にもぐっただけで私は何度も死ぬ思いをした。
どうして私がこんな目にって、ずっと思ってた。
船長さんの許可が必要だけど、きっとここで頷けば、あとはシーエルダー号のお世話になりながら、帰りの船が来るまで待つだけで良いんだよ。もし、そんなものが来なかったとしても、船が直れば帰れるかもしれないし。
なのに、私はどうにも踏ん切りがつかずに。
彼女の言葉に首を振っていたんだ。
「……無理だよ」って。
一度断ってしまえば、それが出来ない理由はいくつだって出てくる。
私じゃ邪魔になるだけだよ。船員なんてやったことがないし、力仕事だってろくに出来ないもん。船長さんが許すわけないし、お世話になれないよ、ほとんど初対面なんだよ? 船の知識だってないし、なおすって言ったってどこから手をつけてもいいかわからないし。料理だって下手なんだから。きっと何にも手伝えないよ。
私がそうまくしたてるのを、彼女は一つ一つ黙って聞いてくれた。
言えば言うほどむなしくなるのに、私はそんな彼女にいくつもいくつも、自分が出来ない事を並べ立てたんだ。
「ね、ユウ?」
「なに?」
「私たちのこと、信用できない?」
「そんなんじゃないよ」
「いいの。私とあなたは会ったばかりだし、今の提案もいきなりだったしね。元海賊なんて信じるほうがどうかしてる」
彼女はちょっと寂しそうに視線を落とす。あんまり気を落とすから、つい、彼女の手を握って……って、え?
「……って、元海賊!?」
え、うそ? ほんと?
確かに船長さんそれっぽい格好してるけど……
「知らなかったの?」
「し、知らないよ! って、それ知ってたら近づかないよ私……」
「じゃあ、なんで?」
「なんでって……」
「私のことは信用してくれてるんだろ? ユウは遺跡の宝に興味があるようにも見えないし、私達と一緒に居たほうが得じゃんか?」
「さっきも言ったでしょ。私、きっと皆に迷惑かけるよ」
「私は、それも気にしないって言ったら? 未経験なんだから出来ないのは当たり前だろ? 仕事は一から教えるから」
「……でも」
それでいいの?
もしそれで頷いたら、私はもらってばっかりだ。そうやって誰かに甘えるだけで、本当にそれで。
「そか、……ユウは自信がないんだ」
「うん、私きっと役に立たないよ」
「そうじゃないよ。多分、ユウは他人と上手くやっていく自信が無いんだ。あれが出来ないからきっと上手くいかない、これが出来ないからきっと上手くいかない、相手に何かを与えないと相手は自分を好きになってくれない。あんたはそう思ってるんだよ」
「そう、なのかな」
わからないよ、そんなこと。考えた事無かったから。
「なんかさ、そう思った」
それから少しの間、二人で黙ってお酒を飲んだ。
何か話しかけなくちゃって思ったけど、何を言ったらいいのか全然わからなくて、ただ、頭の中はぐるぐる回ってた。
じゃあさ。
自信なんて、何に持てばいいの? って。
大好きな舞台ですら、私はみんなを裏切ったんだ。
一緒に居たら、きっとシーエルダー号の人たちだって、私に失望する。わかりきってるんだ。そんなこと。
「ユウはさ、好きな事とかないの?」
「……歌うこと、かな。後は演じる事、踊る事」
「へぇ……まるで役者だね」
「うん……この島に来るまでは」
「そう。いいね、そういうの」
「よくないよ、クビになっちゃったんだから」
「そうじゃなくてさ、私にはあまり縁が無かったからさ。そういう世界、あこがれる」
「元海賊のほうがよっぽど縁が無いよ」
「そりゃそうだ」
彼女は大口を開けて笑う。
なんかね。演劇の事とか舞台のこととか、あんまり話したくなかったのに、彼女の快活に笑うから、つられちゃって。
私も自然と、笑ってたんだ。
お酒のせい、かもね。
つらかった事、目を逸らしてしまいたい事、そういう事を笑い飛ばしてしまえるだけの明るさが、この船には満ち溢れてる。
「なあ、ユウ。折角だから何か歌ってよ」
「折角だからって」
「知ってた? 私達の故郷じゃもうすぐ聖夜なんだよ。そのお祝いに一曲」
「聖夜って、クリスマス?」
「そ、英雄サント・アクロウス」
「……サンタクロース?」
「ユウの所じゃそういうんだね。一夜にして海沿いの領土を占領したって言うあれだよ」
「……いや、そんな物騒なサンタクロース知らないよ」
「物騒かい? おもちゃを配って子供達を懐柔したんだ。それで領土を内部から切り崩したのさ。以降その手段での侵略を防ぐために、聖夜に大人たちが子供にプレゼントを渡すってのが定着したんだってさ」
「わ、私の知ってるのとはずいぶん違う気がする」
「そ。まあいいじゃない。飲めて、歌えればさ」
ほら、と促されて、渋々口を開く。
アカペラで、それもクリスマスとなると……何がいいかな。
あんまり目立たないように、静かな、厳かな曲。私達二人、このテーブルだけを包み込むような。
息を吸う。口ずさむだけの微かな音を、せめて目の前の人にだけは届けられるように。
Silent night Holy night
歌いだしにあわせて、彼女はラム酒に口をつけた。
へぇ、と小さいつぶやき。
All is calm all is bright
曲にあわせて、僅かに机を指で弾く。
この曲そのものは彼女は知らないかもしれない。
でも、似たような曲なら知っているのかも。
Round yon virgin Mother and Child
Holy infant so tender and mild
聖ニコラウスとサント・アクロウスくらいのつながりの、
私と彼女、このシーエルダー号の、二つの故郷の聖夜の。よく似た歌を、彼女は歌う。
声を張る。
せめて見せ掛けくらいは彼女と同じように堂々としてないと、
聖ニコラウスに悪いでしょ?
静かな、聖なる、夜の歌
Sleep in heavenly peace
いつの間にか、食堂は静けさに包まれて、
船員さんたちは、思い思いの楽器を持って好き勝手に伴奏を弾いている。
不協和音のようでどこか心地良くて、綺麗なハーモニーの割にどこか大雑把。
Sleep in heavenly peace
余韻を残して歌い終わるといつの間にか船内はまばらな、だけど暖かい拍手に覆われたんだ。
拍手に紛れて、彼女が囁いた。
「ユウ、自信が無いのはね、私も同じ」
彼女はいたずらっぽく笑う。
転調。
船員さんたちの伴奏はいつの間にか静かで厳かなそれから一転してる。明るくって、馬鹿馬鹿しくなるくらい陽気で、この島の全ての人を祝福するほど能天気な、紅と白のリズム。
これって……サンタが街にやってくる、だよね。
「今年もきっと、現状維持になりそう」
そう言う彼女は、言葉の割にさっぱりとした顔をしていて。
「サント・アクロウスのようにはいかないよ。プレゼント渡すのも一苦労」
持っていた何かを、彼女はそっと服の中に隠したんだ。
「サンタクロースならともかく、サント・アクロウスは来なくていいよ」
歌の合間に声をかけると、彼女はしたり顔で頷く。
「いきなりはちょっとね」
「うん、一夜にして侵略は無いよ」
「別に今に不満があるわけじゃないしね、じっくり行くさ」
飲み会の最中、外の風を浴びたくなって甲板に出た。
遺跡の中でもそうだったけど、偽島の空には都会じゃ見えないくらいの沢山の星が降っていて、ホワイトクリスマスではないけれど、この島に訪れたどこかの誰かの世界では、きっと今日がクリスマスなんだって、そんな気がした。
この島では時間の進み方が違うって誰かがうわさしていたから、もし今船で戻ったら、今日が12月24日かもね。
それでもいいかなあって、ちょっと思った。
「よう、アンタああいう顔もするンだなァ」
声をかけられて前を見ると、船首の近くに船長さんが立っているのが見えた。
「アンタ、この島探索してるより、ああやって歌ってるほうがよっぽど似合うなァ。無理して探索する必要なんて無えンだぜ?」
なんでだろ。この船の人たちってとても元海賊には見えないんだよね。
みんな、他人のことを気にかけて、声をかけてくれる。
「その……今日歌って、思ったんです。帰りたいなあって。待っていたら迎えの船は来るのかもしれないけれど、一応、出来る事はやっておきたくて」
「そうかい? ま、いいさ」
彼女のいう通りなのかも。
私は、シーエルダー号のみんなが差し伸べてくれた手を握る自信が無くて。
彼女は、船長にプレゼントを渡す自信が無かったんだ。
「なァ? アンタが歌ったあの曲、なンていうンだ?」
「Silent night フィーチャリング・シーエルダーです」
船長さんが不思議そうに目を瞬かせた。
「フィーチャリング?」
「フィーチャリング」
何となく面白くなってしまって、私は甲板に手を突くと、今にも降ってきそうな星空に手を伸ばす。
[星降る夜に]私は、この島で出会った人たちの優しさと、それから、帰りたいんだっていう私の気持ち、その二つを、改めて噛締めたんだ。
「そういえば、船員さんたちが歌ったあの曲、なんてタイトルなんですか?」
「サント・アクロウスが領土にやってくる」言いながら、船長さんはニヤリと悪戯っぽく笑った「フィーチャリング・ユウってやつだなァ」
その笑顔は、どこと無くあの彼女を連想させたんだ。
上司と部下って、案外似るのかも?
とりあえず。
「……そのフィーチャリングはちょっと……」
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