歩行雑草の一番怖い所は、人の姿をしている所だと思う。
私はこの日、生き物を殺した。
その生き物が人の姿をしていなかったら、きっと私は何もショックなんて受けなかったのだろう。
「モッサァァァ!!」
その物体の咆哮に、あわてて身を捩る。
ごろごろと転がって覆いかぶさるように圧し掛かってくる「それ」を間一髪でかわす。
全身についた草が転がる私に絡む用に舞って、タンポポの花が種がふわりと空に踊った。むせ返る様な草のにおい。こんな状況じゃなかったら、気持ちよく寝転がっていられるのに。
ついさっきまで私が居た場所で「それ」はゆっくりと立ち上がった。
だから、私もあわてて立ち上がる。
地面に左手をついて、砕けそうになる腰をしっかりと支えて、一気に体を持ち上げた。
右手で。
無我夢中だったから気がつかなかったけど、ずっと握ったままだった短剣を杖代わりに、どうにかこうにか、立ち上がる。
そんな私を、「それ」は無表情に見つめていたんだ。
「それ」後で聞いたんだけど、遺跡に住む歩行雑草っていう魔物なんだって。冒険者を見つけては手当たり次第に襲い掛かってくるから、遭遇したら油断せずに対処すればそんなに怖い相手じゃないらしい。
歩行雑草は、シルエットだけなら人間のそれに近いというか、人間そのまんま。頭があって、手足が二本ずつあって、身長は私より高いくらい。並ぶときっと見上げないといけないくらいだろうから、175って所。それが、全身草花に覆われてる。よく見ると頭に当たる部分には目や口を思わせるくぼみがあって、どこか、さえないおじさんを髣髴とさせた。
その歩行雑草が、ゆらゆらとおぼつかない足取りでこちらに向かってくる。何物も移さない瞳は、それでもしっかりとこちらを見据えているのがわかる。
「モサァァ」
歩行雑草が、当人にしかわからない言語でいった。
さしづめ「食ってやる」とか? やだやだ。私、何想像してるんだろ。
第一、モサーってなに?
それ、擬音でしょ?
もさもさしてるってそのくらい見ればわかるんだから、わざわざ口に出してまでアピールする必要ないんじゃないの?
というかさ。
この状況って何?
何で私、こんな目に逢ってるの?
私何か悪いことした?
……したよね。
お客さんを裏切った。
一緒にがんばってきた舞台の仲間達を失望させた。
背を向けたんだ。舞台から、スポットライトから。
でもさ、だからって、何でこんなところでこんな化け物に襲われてるの?
気が大きくなっていたんだと思う。一瞬でも舞台のことを思い出したから、それに後押しされたのかも。私自身のふがいなさが、あの悔しさが思い出されて、よせばいいのに、気がついたら私は、あの短剣を構えて、歩行雑草と対峙していたんだ。
短剣の重みによろけそうになりながら、両手でしっかりと柄をつかむ。
転がったときにスイッチが入ったのかな、ポケットからシャカシャカと何か音が鳴ってる。
微かに聞こえたフレーズは、「壊さなくちゃ」というリズミカルな一小節。
落ち込んだときに、自分を変えたいと思ったときに聞くお気に入りの曲。
頭の中でその続きを歌いながら、私は歩行雑草に向けて駆け出した。
突き出された手をかいくぐるような器用なことは出来なかった。肩を衝撃が突き抜ける。不意に荷重が加わったこまみたいに、私の体が踊った。たまたま、その手に短剣が握られてた。だから、がむしゃらに、勢いのままに、やたらめったらに短剣を振り回す。重みにつられて体が泳ぐ。そのたびに力を振り絞りながら、何も考えないように、体を動かしていく。
台本はない、失敗したら……もし負けちゃったりしたら、どうなるかわからない。
振りかぶって、振り回されて、型なんて何もあったものじゃない。ただ、ひたすら切りつけた。
生きて動いている動物に向かって、刃物を使うのって、初めてだった。
余裕なんてない。でも、振るたびに手を揺らす衝撃とか、切りつけるたびに飛び散る歩行雑草の葉が、私の体にもたくさんくっついていて、それが何か、そいつの返り血のように思えてしまって。
不意に、力が抜けた。
手がしびれて、もう短剣をつかめそうにない。
ストン、と糸が切れたみたいに座り込むと、もう、そいつを見上げる事しか出来なくなった。
そいつは、私をじっと見据えて、「モサ」と問いかけるように呟く。
次の瞬間、内側から爆発するみたいに葉が飛び散った。
風に乗った小さな葉が、遺跡の草原を悠々と飛んで。
葉っぱまみれになった私は、傍らで、ただじっと座り込んでいた。
私が、殺したんだ。
そんな実感だけが強く手元に残っている。
傍らに転がった短剣を、拾おうという気さえ起きない。
散り際に、あの歩行雑草は何を言おうとしたんだろう?
何故か、わかるはずもない取り止めのない疑問ばかりが頭に浮かんで、私はしばらくの間、立ち上がることすら出来なかった。
確かに生きて、私を襲ってきた草の塊が、目の前にうずたかく積もっている。
なんだか立って動くけるような気分じゃなくて、私は呆然とへたり込んでいた。
風が吹くたびに、草が空に舞っていく。
追悼なのか、ただの放心なのか、その様を追っているともうここに座り込んだまま二度と動かなくたっていい。そんな風にすら思えてきたんだ。
気がつくと、周りにいたはずの人たちも既にどこかに行ってしまっていて、遺跡の草原のなかでたった一人。
何をする気も起きなくて。
もし今また襲われたら、私はどうするんだろう?
とりとめもなく、結論を出すのでもなく、そんな事を考えていた。
その様子が珍しかったのかな、それとも、単なる気まぐれなのかな、しばらくして背後に気配を感じた。
襲われたらもうそれはそれでいいや。
なんだか億劫で、動きたくない。
そんな事を考えながら、でも襲われてもいいように傍らに放ってあった短剣を手繰り寄せる。柄の硬質な触感に一瞬手を引っ込めかけて、だけど、私の手はしっかりとその柄を握っていた。
「何をしてる。獲物を仕留めたならちゃんと必要なものを剥ぎ取れ」
予想や覚悟と違って、かけられた声は硬質なでもまだ少し声変わりしてないような、人間の声。内容はとても物騒だったけど。
予想外の声につられて初めて振り返ると、重そうな荷物を背負った華奢な女の子が、私を見下ろしていた。ううん、ぱっと見ただけじゃちょっとわからない。男の子かもしれないし、女の子かもしれない。10代のように見えるけど、真っ黒に縁取られた瞳には私なんかよりずっと沢山のものを見てきたような、そんな落ち着きが感じられた。
「剥ぎ取るって、そんなこと……出来ないよ」
この嫌悪感は、なんなんだろう。襲ってきた何かを殺して、必要なものを剥ぎ取る。そのことに、何でこんなに抵抗があるんだろう。この島に来た人たちが、みんな当然のようにしていた事だよ。
ここに座り込んでいる間、私はずっとそれを見ていたんだから。
「『狩るならば敬意を持て。無為な死にはするな』。わたしの村の長老が言っていた」
その人はそう言って、動こうとしない私に業を煮やしたのか、私の前に積もった草の塊を物色していく。その行為は、剥ぎ取るという言葉の響きに比べるとずっと牧歌的で、ともすれば単に草むしりをしているだけのようにも見えただろうけれど。
でも、その慣れた手つきが、ここにあるものがたとえ草の塊じゃなかったとしても……例えば、私の死体だったとしても。同じように使えるものを物色したのだろうと思わせて、私には、その人のするその行為が、どういう意味を持つものなのか、考えずにはいられなかったんだ。
彼女は、一通り草を見分けると、それを私に向かって投げた。
どうして? と聞く前に、
「狩った者だけが報酬を得る権利がある」
と彼女は当然のように言った。
その時私の手元に転がった草と、見覚えのある石。
それから、この島で生きるためのごく一般的な手段について。
そんなものが、私の手に入れた最初の報酬だった。
でもね。
狩をしないと生きられないというなら、きっと獲物は私だったんだよ。歩行雑草は、いかにも旅慣れてない弱そうな獲物を襲ったんだ。
その人は既に私に興味を失くしたのか、振り返る様子もなくスタスタと歩き出す。その後姿を見送っていると、ばたばたとあわただしい足音を立てて中年の男性が通り過ぎていく。
私とのすれ違い様に、その中年は陽気な声で叫んだ。
「恩に着せるわけじゃありませんが! 今後何かありましたら当NoAH商会に御用聞きをお願いしますね」
見た感じ、中年は『その人』の連れ……みたい。
余りにも無機質な『その人』となぞの陽気な『中年』。
もやもやとしたものはまだまだ体に残っていて、私、これからどうしよう? ってずっと頭の中を巡っているのに。
「……ヘンな人たち」
呟くと、自然と笑みが漏れて、私は立ち上がっていたんだ。
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