栗鼠でも居るのかなって、思った。
ティアさんのお店はキャタピラがついてて、動くから、アルバイトに通うのも大変。もういちいち説明するのにも驚くのにも疲れちゃうから、とにかくそういうものだと思って。
でね、目的地が動いてるから、地図をもらっていてもたまに道に迷ったり、遅刻しそうになったりしちゃう。帰りだって大変、夜道が心配って、ティアさんはたまにお店で送ってくれるけど、あんまりお世話になってても悪いから、今日はパス。アルバイトは沢山居るし、全員送ってたらきりがないしね。
住宅街からはちょっと外れた、偽島の遺跡の外を、早足で歩いてる。
周囲にはちょっとした林なんかもあって、見通しは悪いし、ちょっとだけ、怖い。
今夜は夜勤だったから、日はもう落ちてしまっていて、空には月がぽっかりと私を見下ろしていた。島って不思議な所で、何故か街灯があったりするところもあるんだけど、ここにはなかった。だから、頼りになるのは月明かりと、建物から漏れる明かりだけ。それでも十分明るいから、まだマシだけどね。遺跡なんて、真っ暗になる所もあるんだから。わき道の林に入ってしまったら大変だけど、普通に歩いてる分には問題なさそう。
何よりね、このあたりには交番があったのを覚えてたから。
怖いっていっても、やっぱりそれだけはちょっと安心も出来るし、まさか交番の近くで何かしようって人も居ないと思うんだよね。
だから、暗いのは怖かったけど、あんまり警戒とかはしてなかったんだ。
ガサって、林のほうから音がした時も、最初は、栗鼠でも居るのかなって、思った。
東京ではなかなか見ることなんて出来ないけれど、この島では不自然に未来都市だったり、かと思えばどこのド田舎だろうって思うくらい自然豊かな場所もあったりして、小動物だって見慣れてた。
なんでだろうね。きっと誰だって経験があると思うんだけど、一度でも音を気にしてしまうと、それまで意識の外にあった音がどんどん気になってくる。
舗装された道を歩く私の足音だとか、街の方から流れてくるちょっとした喧騒だとか、虫の音、風が吹くたびに擦れる葉っぱの音とか。
それから、なんだろう、なぜか後をつけてくる、ガサ、という音。
それまでもちょっと早足だったんだけどね、なんだか不安になって、少しずつ足を速めた。
気のせいだと思うけど、交番が見えるところまでいければ安心だし、考えにくいけど、誰かに尾けられてるなら、流石に交番までは追ってこないと思うんだよね。そういう人って。
ここのおまわりさんが頼りになる人なら、帰り道ちょっとついて来てもらったっていい。
気のせいだと思いたいけれど、私が足を速めると、音は徐々にリズムを早めた。
流石にその頃には私も怖くなって、走り出したんだ。
目的地は、ひとまずおまわりさん達が居る交番。
帰り道からそれほど寄り道になるわけじゃないし、このまま私が借りてる宿までこられても困るから。
この島に来て少しは慣れてきたから、すぐに息が上がったりはしないはずなのに、背中から感じるものが怖くて、どうしようもなく怖くなってきて、息遣いの音までなんか耳についてしまう。
真直ぐに交番に向かって走りたいのに、いつの間にか音は四方八方から聞こえてくるような気がして、それを避けてるうちに、私は知らない場所に迷い込んでいた。
考えるのも怖いけど、もしかしたら、と考えてしまう。
誘導されたんじゃないかって。
私を追う人にだって、やっぱり交番は都合が悪いから、そっちに行かないように。
土地勘があるわけじゃないから、音のするほうを避けてたら、交番に向かってるつもりでも、全然知らないところにおびき出されちゃったんじゃないかって。
焦って周りを見渡してみると、いつの間にか周囲は木々に囲まれていて、建物から漏れているはずの灯りも、聞こえていたはずの喧騒もどこか遠くにいってしまっていた。
それから、いつの間にか目の前に男の人が立ってた。
癖っ毛になった銀髪を無造作に垂らして、青い外套を羽織ってる。服の隙間、あちこちに葉っぱが入り込んでいて、この人がずっと私を見ていたんだって、すぐにわかった。
「逃げられないよ?」
それから、笑顔。
どうしたらこんな顔が出来るんだろうっていう、とっても透明な。
綺麗だけど……ただ顔に張り付いているだけみたいな、ぞっとする笑顔。
その人が、とても長い柄のついた大きな斧を持って、私に微笑みかけていた。
斧の先端には、何時つけられたものだろう、赤黒い染みが、もうどんなに洗ってもきっと取れないんじゃないかなって思うくらい染み付いていて、だから、私はまざまざと、自分の身にこれから起こる事を想像してしまったんだ。
出会った瞬間に、もうどうしようもないんだって、確信させられる事って、ある。
前に船長さんが言っていた。ティアさんにも言われてた。
絶対に逃げられないし、戦っても敵わない。
せめて、少しでも生き残る確率を上げるために、覚悟を決めないといけないときが。
アルバイトの帰り道、遺跡の外の町で、こんなにも唐突に、訪れたんだって。
殺したくないなんて、強くもないのに手加減して、この島で出会う全ての魔物から逃げきろうなんて、うまく行かないってどこかで思ってるのに、ずっと、頑張ってきた。
沢山の人に心配された。
いつか来る『どうしようもない時』のために覚悟だけは決めておけ、そう言われてた。
私は、ギリギリまで覚悟なんて決めてやるか、なんて、自信もないのに啖呵をきってた。
考えなくちゃいけないのに、ずっと後回しにしてた。
答えなんて見つからないって、心のどこかで諦めてた。
本当にその時が来たら、きっと私は短剣を抜いて、死にたくないから相手を殺すのだろうって、漠然と考えてるだけだった。
今目の前に、死神が居る。
蒼い外套を羽織って、巨大な斧を持った、癖っ毛の死神が。
アルバイトに行くだけって言ったって、一応短剣は持ってきていた。それも、刃が潰れていない方を。それだけは、本当に運が良かった。こんなの相手に、一目見ただけで、相対しただけで、「ああこの人は違うんだ」って思わされるような化け物相手に、丸腰だったら、きっともう気が触れてる。
怖くて怖くて、寒くもないのに鞘ごと握った短剣がカタカタとなった。
躊躇してる時間はなかった、その判断力すらなかった。短剣を躊躇わずに抜いた。
船長さんたちの言う、覚悟を決めたんだと、私はその時何故か理解したような気になっていた。
だからといって、この場を切り抜けられる気はしなかった。
刃物を抜いた所で、何ひとつ変わった気がしなかった。
「来ないで」
私の言葉を皮切りに、死神が一歩、歩を進めた。
笑みが濃くなった、そんな気がした。張り付いていただけの笑みが、少しずつ実を伴って、愉悦に歪んでいっているような、そんな気が。
「誰か! ……助けて!」
ともすれば震えてしまいそうな声を振り絞って、叫ぶ。その瞬間に死んでいてもおかしくない賭けだったのに、私の声は周囲の木々に吸い込まれて、声は出口を見つけられないまま、ただむなしく響いただけだった。
死神が斧を振り上げた。
動けたのは、……運命を受け入れてしまわずに済んだのは、妖精の宿で出会った人たちと、ティアさん、船長さんのおかげ。
気がつけば叫んでいた。
助けてって、誰かに甘える声じゃなくって、これから自分が何をするのか、それを考えたらあげずに居られなかった、これは、私の悲鳴。
悲鳴に突き動かされて、抜き身の短剣を持って、死神に突進する。
振りかぶる余裕も、きりつける余裕もないから、ただ突き刺すだけの直線的な。何も考えられない。何も考えたくない。すぐに終わって。お願いだから。死なないで。刺さらないで。逃がして。死にたくない。居なくなって。これは夢。死んで。どこかに行って。これから殺す。殺せない。殺さないと生き残れない。悲鳴。
真っ白どころか乱雑に積み重ねられた思考の導くまま。
私は、初めて人を殺そうと思って、短剣を刺し出した。
音が、やんでいた。
私の悲鳴は、いつの間にかヒューヒューと漏れる空気の音に変わっていた。
喉から、熱い熱い血がバって噴出してて。
何も見えない。持ち上げられ吊らされた感覚と、衝撃。地面にたまった私の血。赤。赤以外は、もう、なにも。
死神の笑顔はきっと、もう張り付いてなんか居ない。
心のそこからの笑顔だろう。
悲鳴。
意味なんて無くて、何かを伝えられるわけでもなくって、ただ、声の限りに叫んだだけの、私の悲鳴。
私が発した、最後の言葉。
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21回目
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