「はい、チョコ。あげる」
渡したら、キョトンとした顔をしてた。そりゃそうだよね。
こんな所でチョコをもらえるだなんて思ってなかっただろうし、そんな関係でもない。第一、渡したいなあと思ったのだってただの自己満足で、その人の意思なんてあんまり考えていなかったのだから、そういう反応になるに決まってる。
着いた頃にはぽたりぽたりと振っていた雨はやがて勢いを増して、いつの間にか無視できないくらいに本降りになってた。
寄せては返す波の音と、海面を叩きつける雨の音が重なって、海岸はいつしか中途半端な盛り上がりを見せるライブ会場みたいな喧騒。
その中に異音が二つ。
ビニールを打ちつける雨の、ぽとぽとぽとぽとというどこかリズミカルに弾むノスタルジックな藍色の音。
二人分の、傘を叩く雨音。
「一度行ってみないっすか? もしかしたら迎えの船、来てるかもしれないっすよ?」
そういう彼に連れられて、初めてこの島に降り立った海岸に来ていた。私も、おそらく彼も、私の言うミステリーツアーの、その迎えの船なんて着てないだろうなと思っていた。だから、白い砂浜の向こう、はるか遠くに見える水平線と、船影一つない海を見ても落胆はしなかった。
代わりにってわけではないのだけど。
このまま海岸沿いに進めば船長さんの船があるなぁ……。
なんて、考えちゃう。
コートのポケットに入ってるチョコレートのことなんかも、意識しちゃって。
ティアさんに言われて作ってはみたチョコ。出来もまあ、普通だから、別に渡してもいいなあとは思うんだよね。ただほら、船員さんたちもいるでしょ? だから、船長さん一人に渡すのもどうかなって思うよね。義理だもん。渡すなら皆に渡さないと不公平って言うのかな。日本だと今は2月くらいなんじゃないかなあとか、バレンタインだなんて俄かに騒がしくなってきた遺跡の外の街のことなんて関係なく、ね。関係ないよ? もちろん、全然。
それに、馬鹿みたいでしょ?
私一人でそわそわしてるのも。
この島の人たちっていろいろなところから来てる。バレンタイン、なんていわれてもぴんと来ない人たちだって沢山居るんだから。渡したら「なんだァ、そらァ?」って言われて意味もなく落ち込んだりする可能性だってあるんだよね。
やだやだ。
「どうしたんすか?」
気がついたら、タカシ君が訝しげにこちらを伺ってた。
いつの間にか考え事をしてて、ちょっとあっちの世界に行ってたかも。帰って来い、私。
「う、ううん、なんでもない」
「大丈夫っすよ。今日は来なかったかもしれないっすけど、遅れてるだけかもしれないですし、俺もちょくちょく見に来るっすから」
全然関係ないことを考えていたのに、タカシ君は慰めるみたいにそういってくれた。またへこんでると思われたのかも。あんまり心配かけても悪いよね。
「うん、遺跡だって探索してるし、大丈夫」
ありがと。って、声に出さずに笑いかけると、タカシ君はなんだか照れたようで、ついっと顔を背けた。
雨の砂浜を、この島の異邦人二人があてもなく散歩してる。
船が着てない事を確認すれば、ここに来た目的なんてとっくに済んでいるはずなのに、私達はぽつぽつと話しながら、歩き続けた。
島に着てからのこととか、知り合った人たちのこととか。
きっかけや理由は全然違うけれど、私とタカシ君の境遇はよく似てる。なんだかわからないうちにこの島に来てしまって、この島特有のルールに戸惑いながら、なんとか今日までやってきた事も、方法も目的も違うけど、どうにか日本に帰りたいって思ってることも。
私と同じ、この島に来るまで冒険も戦いも経験したことのない、ただの普通の男の子だってことも。
初めて街で見かけたときはね、本当に驚いたんだ。
キックボードを持って、片目ずつ色の違うメガネをかけてて、ちょっと変わった服装だなって思ったけど。
タカシ君はね、なんか浮いてた。
たまに店先の武器とか石とかに興味を引かれて珍しそうにそれらを目で追ってる所とか、すれ違った冒険者のいかっつい体格に顔を引きつらせてたりとか、そういうところ私にも覚えがあって。他人事だと思えなくって、つい、声をかけてた。
「日本の人?」
って。
そしたらね、案の定日本の人だったってわけなんだ。
正直に言うと、ちょっと、嬉しかった。
悪いよね、私と一緒だって。きっと、困ってるし。危ない目にもあってるかもしれないのに。
何にもわからないでここに居る人、私だけじゃないんだって、ちょっとほっとしちゃったんだ。
それに、やっと共通言語のわかる人にあえたっていうかさ。
だって、昔聴いてた音楽の話とか、大好きだった漫画の話とかできるんだよ? これってどんなにすごい事だと思う? 最初の頃なんか、知り合った人たちみんな剣技の話とか、遺跡探索の話とかばっかりするから、ほんと、肩身狭かったんだから。アルバイトしてたって、納豆って何ですか? って聞かれたりして……って、これはアメリカとかいっても同じなのかな、まあいっか。
「寒いね、こっちも」
なんとなく、場繋ぎに声をかけてみる。
「……そっすね」
タカシ君らしくない、おざなりな返事。
どうしたのかなと思ってタカシ君を見上げると、タカシ君は照れくさそうに苦笑した。
「雨の日って何となく昔の事を思い出さないっすか?」
考え事に没頭しちゃうのは私だけじゃなかったみたい。
雨の日、砂浜、散歩って、すごいアンニュイになるよね。わかるわかる。すごくわかるな、そういうの。
頷くとタカシ君は傘から覗き込むようにして空を見上げた。
その視線は雨空じゃなくって、どこか遠くの風景を思い出してるように見えたんだ。
「……雨だったんだ?」
「そういってたじゃないっすか」
「そうじゃなくて。タカシ君が思い出してた事って。雨の日の事なのかなって」
「……俺、雨男なんすよね」
タカシ君はそれだけしか言わなかったけど、それってもう言ってるのと同じだよね。
「すいません」
タカシ君がまじめぶって謝るから、つい笑っちゃった。
「この雨って、タカシ君のせい?」
まさか「俺のせいっすよ」とか言い出すんじゃないかと思っちゃう。
タカシ君は、なんだか複雑な顔をしてる。
ひとしきり笑ってから、ふと気になって聞いてみた
「……まさか、魔法で雨を降らせるられるんすよ、とか言い出さないよね?」
この島に来る人たちならそのくらいしかねないけどね。タカシ君がそれ言い出したら、裏切られたような気持ちになりそう。嫉妬しちゃったりしてね。
あ、でもそれもちょっと素敵かも。
今、魔法で虹なんか出して見せられたら、女の子なら誰だってドキっとしちゃうかもね。
「傘」
「なんすかいきなり?」
「傘って、ずっと形が変わってないんだって。どこにいっても同じ形してるし」
タカシ君が、興味深そうに聞いてくれてる。
だから、ちょっといい気になっちゃって。
「だから、雨の日の思い出はいつまでたっても色褪せないのかも。傘を見るたびに、鮮明に思い出されちゃうのかも」
……クサかったかな?
いいよね、このくらい。
何となく歩き出すと、タカシ君が後ろからついてくる気配がした。二人で歩いているけれど、考えてる事はきっと違う。私達が遭遇した出来事は似てるけれど、やっぱり全然別々の他人だから、考えなくちゃいけないことも、乗り越えなくちゃいけないことも、きっと、違うものなんだ。
「……ねえ? 帰ってからやりたい事ってある? 目標とか、夢とか」
「ピンとこないっす。俺、なんとなくこのまま大学卒業して、適当な会社に入って、年とって、生きてくんじゃないかなあって、思ってたんですよね」
「そっか。私もね。なんにもない。帰るために頑張ってるのに、考えてみたら、帰ってからやりたい事ってないんだよね。劇団もクビになっちゃったばっかりだし。ここでの生活には少しずつ慣れてきて、離れるの、寂しいなあって思う人達もいるのに。……でもね、ここでずっと生きていけるのかって聞かれたら、その自信は無いの。中途半端」
愚痴だけどね。
短い付き合いだけど、何となくわかることもあるんだ。
タカシ君って、否定しない。優しいから、どんなことを言ってもね。
「わかる気がするっすよ」
ね。だから、つい弱音を吐いてしまうんだよね。
手渡したチョコをあんまりしげしげ眺めてるから、なんだかどんどん恥ずかしくなってくる。かと言って、見ないでってのもおかしいよね。もう渡しちゃってるんだもん。
「これ、手作りじゃないっすか」
そりゃ、この島で既製品買うのって、難しいから。
「義理だけどね」
「……そっすか」
あ、ちょっと残念そう。
「でもね、上げるならタカシ君だなって思ってたの。どうせ渡すなら、もらえるかなって朝からソワソワしたり、渡す前、ポッケに入ってるだけで意味もなくドキドキしたり、もう包んでるのに、割れちゃってないかなって確かめたくなったり、そういうの、わかる人に渡したいじゃない?」
本命の人が居たとしてもさ、ピンときてない人に渡したって、張り合いがないもんね。
タカシ君はちょっと考えて。
もしかしたら、私の言ったこと、考えてみてくれてるのかなって思った。ちゃんと、自分の気持ちとして実感できるように。
答えはね、実は、聞かなくてもわかってた。タカシ君ならこう言うだろうなあって。
「そういうの、わかる気がするっすよ」
ほらね。
■第二回 文章コミュイベント■
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共通言語ってあるでしょ?
日本語とか英語とかじゃなくて、同じ趣味の深い話とか、昔見た映画の話とか。 一緒に歩いた町並みの事とか、誰もが経験してるバレンタインデイの淡い思い出とか。 話したら、ああ、あるあるって笑いあえる。そういう、暗黙の了解。 そういうの、わかる人に渡したいと思った私の気持ち、わかるよね? だって、バレンタインデイだもん。 ドキドキする気持ちだって、やっぱり誰かと共有したい。 |
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