気がついたら、宿の中で一人飲んでいるとき、裏庭で短剣を振るってる時、来てるかな? ってその人のことを目で追うようになってた。
意識するようになったのは、いつからだったっけ?
……多分、あの日からだ。
「私、これでやってみようって決めたんです。殺すのも、殺されるのも嫌だから」
短剣の柄に鞘を絡ませて、飛んで行ってしまわないようにぎゅっと握る。それだけでももしかしたら痛いかもしれないから、コートを巻きつけて、テーブルの上に置いた。
ティアさんはそれを見て、何か言いたげにしてたけど、口は開かなかった。
ほんの些細な、会話の隙間っていえるくらいの時間が経つ。
気にしなければ気にならないほどの、ほんの少し探るような時間が。
「そう……悠ちゃんがそうしたいなら、そうしてみればいいんじゃない?」
正直な所、馬鹿にされるか、呆れられるか、怒られるかだと思ってたから、ティアさんがそう言った時にはちょっと驚いた。
それが顔に出てたんだと思う、ティアさんは重ねて
「いざという時に自分のやり方が決まってる人間のほうが強いのよね」
と言ってくれた。
妖精の宿の裏庭には、しんしんと雪が降り積もっていて、気を抜くと肩とか頭とかに雪が積もっちゃう。
ティアさんに見せた短剣にも、もううっすらと雪が積もり始めていて、だから、それを払った。
「じゃ、じゃあ、私もう少し練習しますね。もっと頑張らないと不安だし」
席を立って、探検を振り始めた私に、ティアさんはそっと微笑を漏らす。
余裕があるなあって思う。やっぱり、強い人は。
「ねえ、悠ちゃん?」
「はい?」
「一つだけ、聞いてもいい?」
「……はぁ、どうぞ」
本当に日常会話の延長みたいに、ティアさんは言う。私も練習してたから、ちょっと油断してた。
「もしも、絶対に逃げられない状況に追い込まれたら、悠ちゃんはどうするの?」
何気なく聞く割に、ティアさんは意地悪だと思う。
そんなの、こたえは一つしかなくて。
でも、それが嫌だから、私は逃げるための練習をしているのに。
どうするんだろう? 戦うのかな。戦って、それで、殺す? 魔物を? でも、しょうがないよね。だって、襲われてるんだもん。生き様と思ったら、どうしたって、自分のみは自分で守らないと……何をしたって。
そんなの、躊躇うほうが、躊躇うけど……何でもしないほうが、どうにかしてるよ。
初めて遺跡を探索した日。
何にも知らないで、歩行雑草を殺した時。
あの時の手の感触、崩れた歩行雑草の亡骸、樹液。よく覚えてる。
『狩るならば敬意を持て。無為な死にはするな』
送られた言葉も。
ほんと、わかってるんだ。
逃げるなんて、うまく行きっこないかもしれないって。
なのに、口から出た言葉はちぐはぐで、曖昧で。歩行雑草を殺した時の感触が手に残っていて、わん太さんに見届けてもらって初めて生き延びた野犬との戦いの、あの時の気持ちがこみ上げてきて。
「……わかりません」
って、私はそう言ってた。
「そう、じゃあ宿題ね。その時がくるまでに考えておいて、ね」
最初から、ティアさんはそのつもりだったのかもしれない。いつかそういう日がくるんだよって、忠告してくれたのかも。
もしその時が来たら、私は覚悟するのかな。
短剣を鞘から抜いて、躊躇わないで切りかかるのかな。
割り切ってしまえば簡単にできそうな事が、どうして出来ないんだろうって。
それからの練習は、全然身が入らなかったけど、動いていないとなんだか嫌な想像してしまいそうで、必死になって体を動かした。
「よう、ティア。それにユウじゃねぇか。何してんだァ?」
振り返ると、船長さんがいた。手にはラム酒をボトルで持って、何気ない調子で近づいてくる。冒険の帰りなのかな、いつもの海賊って感じの服装。パイレーツなんちゃらとかね。映画、そういえば最初のしか見てないなあ。……続き、見たいなあ。
「座っても?」
気取って船長さんが聞くと、ティアさんは微笑んで応じる。そういうの、妙に絵になるよね。この二人。
「悠ちゃんが稽古してるのよ。逃げるための練習なんですって」
「逃げるための、ねぇ」
椅子に座りながら、船長さんが一人ごちた。
ラム酒をグラスに注いで、ちびりちびりと飲み始める。
その声に微かな険というか、困惑を感じて、ちょっとだけ、気になっちゃった。
さっきティアさんも見せた。ほんの些細な隙間。
「……変ですか?」
「ヘンじゃねぇさ。アンタァ悩みすぎんだよ。だからそのくらいでちょうどいいのかもなァってな」
本音なのかもね。でも、絶対にそれだけじゃないよね。
その証拠に、船長さん、ちょっと困った顔してる。言うべきか、言わないべきかって、考えてる。
「……練習試合、しませんか?」
気がついたら、そう言ってた。
みんなそういう顔するけど、私だって、今日まで少しは探索してきたんだから、……ちょっとくらいはできるんだって、認めて欲しかったんだ。
それに、もし、もしもだよ? 万が一船長さんと戦えたらきっと自信になるし、練習の成果だって、確かめたい。
調子に乗ってのかもね、それとも、やけになってたのかな。
船長さんは最初渋っていたけど、私があんまり言うもんだから納得してくれたのか、持ってきていたサーベルを手に取ったんだ。
「少し現実ってやつを教えておいてやるか」
船長さんがそう呟いたのが、聞こえた。
妖精の宿の裏庭、その端っこで、誰の邪魔にもならないように対峙する。
正面には船長さん、ティアさんはテーブルに座ったまま。
船長さんは、抜き身のサーベルを構えてる。鞘をつけたりはしてないから、切られたら血が出るし、下手したら死んじゃう。……でも、剣はやめてって、いえなかった。言えるわけないよ。だってこれは、私がこの島でちゃんと逃げられるかどうか、それを船長さんとティアさんに認めさせるための、試合なんだよ。
私はいつもどおりに、短剣に鞘をつけて、紐を手に巻きつけて、その上からコートを巻いてる。……逃げるって、殺さないって、こういうことだよね。そうやってやってみようって決めたんだから。
わん太さんに教えてもらったやり方、初めて聞いたときには、本当に嬉しかったんだ。こうすれば良いんだって、新しい道が開けた気がしたんだ。私みたいなのでも、この島でやっていけるんだって。
だから、考えないと。
どうやって逃げるのか、どうやって認めさせるのか。
大事なのはきっと、意表をつく事、船長さんに対処させない事。
「じゃあ、はじめ!」
ティアさんの合図にあわせて、短剣を振るう。船長さんのサーベルも、私の短剣も全然届かない、そんな位置。
近づかれたらお終い。船長さん、マッチョってわけじゃないけど、それでも全然体格が違うから、つかまれでもしたらその時点でアウト。
でも、私の持ってる短剣より船長さんの持ってるサーベルのほうが長いから、私、近づかないと何にも出来ない。
だから、まずは、全力で逃げてみる!
振った短剣の、わざと緩く巻いていたコートが、船長さんの顔めがけて飛んでいく。それでどんな反応をしたとか、怯んでくれたとか、確認している余裕なんてない。振ったらすぐに振り返って走る。
そういう練習してたからかな、スムーズに体がついてきた。
これなら、と思ったけど、やっぱり全然。甘くない。
船長さんはすぐさまコートを払って、追いかけてきてた。
宿の裏庭は、結構広いから、足の早い人なら逃げてるだけでもずいぶん時間を稼げそうなのに、船長さんはすぐに追いついてくる。
ほんの短い間。
考える事は、意表をつく事。その一点だけ。
差がありすぎて、普通にやったらすぐに終わっちゃう。
逃げるのはダメ。近づいてもダメ。……船長さんだってそのくらいわかってるはず、でも、まだ詰んでないよね。できること、あるはず。
いっそ、体当たりでもしてみる?
船長さんがサーベルを水平に構えなおそうとした矢先だった。
振り返る時間はないから、急ブレーキしてバックステップ。背中から思いっきり!
いきなりぶつかったからすごい衝撃、倒れそうになる野を必死でこらえる。ここで転んじゃったら台無しだから。
「グッ」
と船長さんがうめき声を上げるのが聞こえた。構えようとしていた剣は振り上げていて、もし船長さんが振り上げてなかったら、私、刃に飛び込んでいたのかも。
一瞬だけど、こっちの身を案じてくれた。そんな気がしたんだ。
船長さんも倒れてない。転んでくれたらよかったのに、全然、びくともしてなかった。
どうしよう? どうすればいい?
横脇から、背中越しに短剣で叩く?
きっと船長さん、そのくらいの事予想してる。考えてる時間なんてほとんどない。なにかやらないと、何か。
私にできる事を。
私に、できる事。
まずは姿勢を正して。
考えてみたら、咄嗟に思いつくことってひとつしかないんだよね。
短剣を抱えて。
ずっとそうやって生きてきたんだもん。
ちょっと体勢に無理があるけど、船長さんによっかかるようにして、なるべく顔を近づける。
上のCまで出せるのか? って。
もちろん、お腹のそこから。
金切り声なんかじゃなくって、全力の、最『高』の音。
「アーーーーーーーーーーーー!!」
船長さんが今度こそのけぞって、耳を押さえて下がった。
すぐには追いすがれないし、サーベルの長さよりもちょっと遠い、そんな距離。
やったかな。って思った。
なんにもやってないのに。
全然、逃げ切れてないのに。
船長さんはサーベルを投げ捨てると、懐からテレビの中でしか見たことがないような武器を取り出したんだ。
……銃を。
「嬢ちゃん、こうなったらどうする?」
妖精の宿の、その裏庭。
船長さんは厳しい目をして、銃を突きつけた。
私の、甘い決心に。
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