かぼちゃの涙亭。
ティアさんのお店で、私のアルバイト先。
驚くよね。いや、もうこの島に来てから驚くよねって何度思ったか知らないけど。何か起こるたびに驚いてるんだから、驚くよねとしかいいようが無いんだよね。
まさか、こんな所でバイトが決まるなんて思ってなかったもん。アルバイトがあるとすら思ってなかったんだから、そりゃそうだよね。
なにかね、お客さん達と話した所によると、偽島にはハローワークもあるんだって。それから、本なら何でも揃うって図書館も。
……もうなんでもありだよこの島。
ティアさんに渡された地図には、かぼちゃの涙亭の位置が記されてた。だから前日にちゃんと確認して、道順もしっかり覚えて、その上余裕を持って出かけたのに、私は案の定道に迷ったわけで。
歩いているとすぐに周囲の景色は見慣れないものになっちゃって、ちょっと見渡したらうっそうとした森まであるから、うっかり入っちゃったら迷うどころか遭難しちゃいそう。途中交番があったから道を尋ねようと思ったんだけど、なにか男の人たちとおまわりさんが言い争いをしていて、入っていけないなあって思ったから、結局道を聞かずに歩いてみる事にしたんだ。
この島に来てから、道に迷ってばっかりな気がする。
でも、今回ばっかりは私悪くないと思うんだ。
だって地図上のお店、移動してるんだもん。ありえない。
何を言ってるのかわからないでしょ? わからないと思う。説明するのが難しいって言うかさ、こんな現象を説明するの初めてだから、なんていえばいいのかもわからないんだよね。
地図にはね。かぼちゃの涙亭ってしっかり書いてあって、矢印までついてて『↓ここ』って丁寧にマーキングまでされてる。だからかぼちゃの涙亭の場所は一目瞭然。なのに、そのマークがどんどん動いてるって言えば、わかる? わかって。わかりたくありません。わからないよね。
ま、まあ、多分だけど、お店はなんか動いてるみたい。
……これ、何とか追いつけってこと?
幸い、出勤時間は速度を落としてくれてるからかな? 追いつけない速度じゃないと思うけど。そもそも動いてるって言うのが反則だよ。何に対しての反則なのかわからないけどね。
すっごくみみっちい事なんだけど、通勤時間が読めないってのはちょっと怖いよね。早出を心がけなくっちゃ。
ルート選びを間違えると必死で走る事になって、着くまでには汗だくになっちゃう。走って追いかけるんだよ? お店を。すッ語彙運動になるんだから。通い始めてから何となくわかったのは、お店が向かうルートの先回りするってことを意識する事。後ろから追いかけてたら日が暮れちゃう。通勤にもコツがいるんだ。
こんな話聞いてると、どんなに非常識なお店かと思うでしょ?
でも、着いてみると意外と普通なんだよね。意外とってのがポイント。普通の基準なんて人それぞれだし。外観は、ログハウスが近いかな。実際何で出来てるのかわからないけど、木造みたいでなんだかあったかそう。ちょっとキャタピラがついてることには目を瞑ってね。
……何でお店を移動させようと思ったのかなあ……ティアさん。
この島に来るの人の考える事は、よくわからない。
ティアさんに質問したら、キャタピラは「無限軌道」って言うんだって。そういうことを聞いたんじゃないんだけどなあ。
店舗に乗り込んで(お世辞にも入ってとかいえない、止まってることも多いけど)くるお客様には、「いらっしゃいませ」より先に「お疲れ様でした」とか「ご足労ありがとうございます」とか言いたくなるかも。……今度言ってみようっと。
ま、まあとにかく、店舗に乗り込んで、スタッフルームに入って、支給された制服とエプロンに袖を通す。こういうのって、働くんだなあって気がして気が引き締まるよね。この島に来てからあんまり服とか意識しなくなってたから、ちょっと嬉しいというか、気をつけないとって思っちゃう。そんなこと、考えてちゃいけないのかもしれないけど、やっぱり、気になるしね。
身だしなみチェックして、ティアさんに挨拶したら、仕事開始。ホールに入ってオーダーを取ったり、料理を運んだりするんだ。
「オーダー入りましたー。ど、ドルマダキァ? とサワークリームのクラティーテ? それから、三色盛り合わせのアイスクリームです。あ、あと生三つー」
カウンターの向こうのティアさんに声をかける。
「こら、いちいち疑問系にしないの」
すると女将さんからの注意が飛ぶ。
そうだよね、働くならメニューくらいは覚えないと。折角声をかけてもらったんだから、頑張らないとね。
私の仕事は、主にホールのお仕事。って、これは見てればわかるか。
かぼちゃの涙亭はお昼はレストラン、夜はダイニングバーというか……居酒屋? みたいなお店だから、時間帯によって客層も全然違う。時間帯どころか、今どこを走っているかでもまるで違うんだから、客層とか気にしてもしょうがないかもね。
今日は夜のお仕事。お酒が沢山出るから、ちょっと覚悟しないと。
アルバイトなんてコンビニでしかやった事が無いから、ホールの経験なんてさっぱり。不安だったからティアさんに「接客マニュアルありませんか」って聞いたら、自分の個性でやってみて、だって。
この島の人たちはもうそれはそれは個性的だから、ひとつひとつマニュアルを作ってたらきりが無いみたい。
それでも食い下がったら、ティアさんは一冊の本を貸してくれたんだ。接客について書かれた本。
「ユウちゃんなら、こういうのがいいかもね」
タイトルは『接客物語』
なにそれ? って思うけど、読んでみたら意外と面白くって、遺跡探索の合間とかに読みふけっちゃった。
内容は、簡単に言うとお客様を主人公に物語を作れって、そんな感じ。
簡単に言うけど、それってなかなか難しい。
今も酔いつぶれてるお客様がいらっしゃって、どうしようかなあって迷ってるんだけど。
「あの……お客さん? 大丈夫ですか?」
そのお客さんは、黒い全身タイツを着ている中年くらいの男性。小さい頃こういう人達、戦闘員って言うのかな。流行ったんだけど、今はめっきり見なくなっちゃった。
「大丈夫。大丈夫なんだ。今日はパーっと飲みたい気分でね」
「は、はぁ……そうですか」
「そうだね、良ければお嬢さんも飲みなさい」
「い、いえ、仕事中ですし」
「そうか……そうだな。仕事だもんな」
「あ、あのー」
「久しぶりに連れ合いに会ってね。……なあ、お嬢さん。娘達を幸せにするために、おとうさんはどうすればいいとおもう?」
……早めに家に帰るとかって、どうかなあ?
なんて、聞いてくれる雰囲気じゃない。私もお酒飲むようになったけど、こんな感じなのかな。
おとうさんの愚痴と優しさを乗せて、かぼちゃの涙亭は走ってる。窓の外を見ると、いつの間にか偽島の住宅地みたいな所に差し掛かってて、そういう風景と、この戦闘員みたいなおとうさんの漏らした言葉が、どうしようもなく日本を思わせたんだ。
ねえ、ホールスタッフとして、私はこのお客さんにどんな物語を見せたら良いんだと思う? お冷を出すとか?
それとも、大丈夫ですよって気休めを言う? 言葉を受け流して聞いた振りをすればいい? 迷っていると、カウンターの向こう。厨房のティアさんが「ユウちゃん」って声をかけてくれて、そっと窓の外を指した。
外を見ると、かぼちゃの涙亭はいつの間にか止まっていて、夜の帳に、普通の一軒家がぼうっと浮かび上がってた。
おうちの前に止まるなんて、ちょっと非常識かも。
いきなり家の前に着いたキャタピラつきのログハウスに驚いたのかな? その割には悠々と、二人の女の子がでてくる。
目つきの鋭い、凛々しい女子高生と、緑色の髪に安全帽をかぶった奇抜な女の子。
「あの、……娘さん、迎えに来てますよ?」
なんとなく、勘だけど。
テーブルのおとうさんに声をかけると、おとうさんはなんとも言い難い顔をして。
その顔、きっと忘れられないと思う。本当に好きなんだなあって、思ったから。
私の勘違いじゃなければ、あの二人が娘さん。だよね。
この人が心のそこから幸せになって欲しいって思う二人。
仕事終わりに、ティアさんにあの時の事を聞いた。
「物語の接客って、ホールスタッフって、こういう仕事なんですね」
ちょっとね。私も感動しちゃった。
それで、判った気がしたんだ。ホールサービスってこういう仕事。そうでしょ? お客さんがお店に来て、ご飯を食べて、店を出るまでに出会う、ささやかな物語を提供する事。
ティアさんはにへらーっと笑うと。
「違うんじゃない?」
ぇー。
ま、まあ。
うん、よく考えてみたら、あんなの私には真似できないなあって。
と、とにかく。
かぼちゃの涙亭って、そういうお店。
美味しい料理と、ちょっと粋な出来事と、変わったお客さん達に囲まれた、移動する料理屋さん。
……バイト、続くといいなあ。
[0回]
PR