「うん、全力で逃げるよ」
この島で生きていこうと思ったら、この島の魔物たちを殺す覚悟が必要になる。そんなことは、わかってるんだ。
でも、そんなの……覚悟なんて、決められないよ。
だって、殺すんだよ? 切ったら血だって出るし、気持ち悪い。このハムスターだって、もしかしたらこの島に来た冒険者かもしれない、どこかですれ違ってるのかもしれない。
ううん、理屈はどうでも良くて。ただ、嫌だ。
私の身長くらいある巨大なハムスターと対峙して、見つめあう。
5メートルって所かな。
手に乗るくらいの大きさだったら可愛いのに、こんなに大きいいと流石に怖いし、不気味。
愛くるしい顔で何を考えているのかもさっぱりわからないし、せわしなく動く前足が、今にも私に向けられそうで、じっと目を離せずに居た。
でも、その時の私は怖さも不気味さも全部我慢できて、高揚する気持ちだけに任せて、動けるって、思ったんだ。
全力で逃げようっていっても、ただ走って逃げたんじゃあっちのほうが足もはやそうだし、体力もきっと上。すぐに追いつかれて、食べられちゃうのがオチ。
だから、逃げ切るためにも、考えなくちゃ。
私は弱い、多分、この島に来ている人たちの中でも飛びぬけて弱い、もしかしたら、一番かも。
そんな私が、殺すのも、殺されるのも嫌だなんてわがままを通そうと思ったら、必死で考えなくちゃいけないんだ。
とにかく、最初は観察。
おあつらえ向きに、あっちが何を考えているかはわからないけれど、今は膠着してる。今のうちに、あのハムスターがやってきそうな事とか、出来る限り想像するんだ。
えーっと、考えなきゃ。考えなきゃ。
こんなおっきいのはともかく、手のひらに乗る普通のハムスターなら、私だって見たことがある。小学生の頃、友達に見せてもらった。
すごい勢いで走っていって、箪笥とかにぶつかって、隙間の中に逃げちゃって、大掃除の時に、死んでるのが見つかって……あの時は、友達大泣きしてたっけ。
って、そうじゃなくて。
さっきも見たとおり、直線状に居たらダメだよね。
体当たりされたら、私なんか一発で吹き飛ばされちゃう。
爪にも気をつけないと。でも、一番気をつけないといけないのはあの牙だ。つかまって、ひまわりの種よろしく齧られちゃったら、もう私にはどうしようもないもん。
決めた。
なるべく横へ横へと回り込みながら、叩いて弱らせる。で、弱った所を全力疾走。
決めてしまったら、静かに息を整える。
ハムスターから目をはなさずに、こちらから動く機会をうかがう。
うまく動こうとしちゃダメ。私にはそんな技術は無いんだから、がむしゃらで、かっこ悪くても、とにかく横に回る。
向かい合う。
どうしてだろう。
普通に話しているだけならこんなに消耗しないのに、襲われるとわかって向き合っていると、どんどん疲れてくる。
こんなの、10秒だって続けてられない。
だから、意を決して走り込んだ。
真直ぐじゃなくて、斜めに、ハムスターの右横の空間めがけて。
ハムスターは弾かれたように真直ぐに私に向かってくる。すごいスピードの突進。
そのハムスターに引っ掛けるように剣道の胴うちの要領で右から短剣で叩いた。わかってる。どうせこんなのじゃひるんだりもしない。叩いた勢いを殺さないように、ハムスターの右に、通り過ぎるハムスターの背後に回りこんで、とにかく叩く。
私が避けたことに気がついたのか、ハムスターはすぐに止まって、こちらに向き直ろうとした。それも運が良かった。
もし走り抜けられてたら、追いつけない。また向かい合うことになってた。こんな芸当、私に何度も続けられるわけが無い。
だから、ひたすら叩いた。
途中くじけそうになったときは、あの魔法の言葉「ハッシュハッシュ」唱えながら。
それでも、ハムスターはまだまだ元気だった。
振り向き様にその顔で薙ぎ払う。標的はもちろん私。
K−1で見たことのあるバックハンドブローみたいな一撃が、わき腹のあたりに突き刺さって、こらえきれずに私はもんどりうって倒れた。
それで、思い出した。
高揚はどこかにいっちゃった。
怖かった。
とにかく怖かった。
逃げなきゃって思った。
どうやって?
戦って、逃げなきゃって。
ハムスターが全身で圧し掛かってくるのを、転がってどうにか避ける。
私を追う前足を、鞘の突いた短剣でどうにか払う。
考えなきゃ。考えなきゃ。
頭の中はそれで一杯で、さっきと同じ方法しか思いつかなくって。
その時、歌が聞こえたんだ。
転がった時にスイッチが入ったのかな。コートにはいっていたI−PODから、あの時、私が失敗してしまった……私が役者をクビになった原因の、あの歌が。
歌詞は完璧に覚えてる。
どこを歌うのが難しくて、振り付けも、演技も。
微かな音だったけど、確かに聞こえる。
『自由を、求めて』そう詠う、歌。
気がついてしまったら、もう歌しか聞こえない。
空高く、舞い上がるの。
飛んでいくの。
どこまでも。
……誰にも、止められはしない。
口ずさんでいた。
立ち上がっていた。
私の歌、聴いてくれてる?
ハムスターが体を揺らして、歌のリズムに乗ってる。
全力で歌った。
こうして歌うのだってきっと意味があって、事実私は今生きていて、ハムスターは私の歌を聴いてくれてる。
観客はたった一匹、それも、私を食べたがってるハムスター。
不思議な、不思議な、一人舞台。
気がついたら私は振り付けまでして、全力でその歌を歌いきってたんだ。
あの時だって、そう出来たらよかったのに。
歌い終わって、放心状態でハムスターを見た。
ハムスターも「それで?」と言いたげにこちらを見ている。
とりあえず、一礼してみる。これで一応お客さんだし。
で、振り返って、とにかく思いっきり走った。
走ったら追いつかれるとか、逃げたって無駄だとか、考えなかった。
私の冒険はこれで終わりかもしれないけど、今だけは、ちょっと気持ちいい。
巨大なハムスターが、思い出したみたいに追いかけてくる。
一杯叩いたからか、思ったよりも遅い。
視線の先に、アルミ缶が一つ落ちていた。
不思議だなと漠然と思って、そんな場合じゃないから、ひたすら足を動かす。
そのアルミ缶が両足で大地にしっかりと立ち上がって、しかもなんかものすごく濃い顔がついてて、腕なんか組んじゃったりして、腕? 足? きっと普通じゃないアルミ缶がなんか大声で怒鳴りかけてきたのには、だから、ものすごくびっくりした。
「ハーッハッハッ!!ついに来たか若造どもよッ!!」
妙に野太い、男らしい声。
って、今それどころじゃ。
微妙にハムスター一緒くたにされてるし。
「さて。知っている者は知ってい……」
「あとで! 後でお願いします!!」
アルミ缶に向かって走る私と、追いかけてくるハムスター。
小学生の頃に近所の子供達と夢中になって遊んだ缶蹴りみたいだ。
ユウ! と小さい頃のアイツの声が聞こえた気がして、急いで缶を蹴りに走ったあの頃の気持ちが、ふと甦った。
で、気がついたら蹴っていた。
カーンっていう懐かしい音と一緒に、アルミ缶偽物の空高く飛んでいく。
「・・・・・・まぁ、最初の相手くらい務まらんとこの先やっていけんがねッ! 覚悟の有無を考えることなかれッ!全力を尽くすのみだよキミィィィィィィィィィィィィ
ィィィィ」
ィィィっていうなんか野太い余韻を残して、アルミ缶はそれはもう盛大に、誰に求められな勢いで、大空高く飛んでいったんだ。
思わず立ち止まって、見上げていたら、巨大なハムスターが私を通り過ぎて、アルミ缶が飛んでいった先に向かって走っていく。
犬?
思ったけど、なんかもう、そういう偶然とか不可解な出来事全てに助けてもらった気が……この島に、情けをかけてもらった気がして、ひとまず、私は座り込んだんだ。
なんか、予想していたのとは違ったけど
「……とりあえず、逃げ切れた?」
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