■第一回 文章コミュイベント■
遺跡にも夜の帳が落ちて、私は空を見上げていた。
不思議だなあって、思う。
建物に遮断される事がない広大な星空には、小学生のときに習った冬の大三角が浮かんでる。えーと、シリウス、ベテルギウス、後なんだっけ? なんか、そういうの。
それぞれ、おおいぬ座、オリオン座、こいぬ座を形成している星の一部。よく見るとその奥には天の川らしき星々が縦断していて、まるで、冬の大三角が天の川から飛び出してきたみたい。
この島にあるものは全て偽物って聞いたことがあるけれど、空に浮かぶ星は日本のものと同じなんだね。
本当に、不思議。
……私が今絶賛迷子中だって事なんて、忘れちゃいそうなくらい。
……ああああ。
冬の大三角があるって事は、きっとあっちが南東だよね? うん、なんとなく方向はわかる。
問題は、私はどこから来たんだろう? ってのがさっぱりわからないこと。どうやったらこの遺跡から出られるのかも。
だ、ダメじゃん。
それに、もう夜だっていうのもまずいよね。
またいつ草の化け物とか野犬とかに襲われるかもわからないのに、あたりはどんどん真っ暗になっていくんだもん。
いくらなんでも星明りだけじゃ不安すぎるよ。
どこに進めばいいのか、どっちに歩けば引き返す事になるのか、全然わからなくて、途方にくれてしまう。
そんな時だった。
獣の唸り声が聞こえたのは。
「……ガルルルル」
という、どこか弱々しい唸り声。
身をすくめて辺りを見回すと、一頭の野犬がおぼつかない足取りで近づいてくる。
警戒しているのかな。野犬は少し離れたところに座ると、加えていたお肉と小さな石をその場に置いた。
お肉はともかく、石は見たことある。草の化け物を殺してしまったときに拾ったあの石だ。PSってやつ。
驚いてその野犬を見ると、すぐにわかった。今日、私が叩いた犬だ。
「な、なんで?」
思わず聞いてしまったけど、野犬は私をじっと見つめるだけで、吼え声さえあげてくれなかった。
しばらく見つめあってると、野犬はお肉とPSを置いて、用心するように後ろに下がる。それから、拾うのを促すように、またじっと私を見つめた。
PSとお肉を拾うと、野犬は背を向けて歩き出した。
そのまま立ち去るのかなと見送っていると、十歩ほど離れたところで立ち止まって、ちらちらと振り向いた。
「ついて来い……ってこと?」
ちょっと迷ったけど、野犬の向かう先について歩く。
どのくらいの時間かな。結構長い時間。
私が疲れて立ち止まってしまうと、野犬は何事もなかったかのように止まって、私を待ってくれた。野犬との距離がもどかしくなって距離を詰めようとすると、野犬は敏感にその歩を早めた。
そうやって、十歩ほどの距離を保ったまま、私と野犬は歩き続けたんだ。
歩いていると、やがて大きな河に差し掛かった。
空に浮かんだ星々が映りこんで、まるで河いっぱいに星を浮かべたような、綺麗な河。
思わず感嘆の声を上げると、野犬はそのとき初めて、
「わん」
とだけ鳴いた。
星が浮かぶ河に、野犬と独り。
その時私は、なぜかまだ中学生だったころ歩いた海辺の砂浜を思い出していた。
そのときの私は、折角用意したお手製のマフラーを持て余して冬の砂浜を歩いてた。
どこかのドラマみたいに、バカヤロウーって叫んだら気も紛れるかなと思って、近所の砂浜に来てみたけど、いざ着いてみるとなんだか馬鹿馬鹿しくなってしまって、アイツの言った言葉だけが妙に耳に残ってて、帰るに帰れずにぶらぶらしてた。
気をつけてはいるんだけど、少しずつ靴の中に入ってくる砂が靴下をはいた足裏にざらざらと不協和音を奏でてる。砂浜を歩くその感触はどうにも頼りなくて、その頼りなさが唯一私のよりどころのような気がして、必要以上に足を摺って歩く。
もう渡す相手なんていないくせに、手に持った編み物が砂にまみれてしまわないように、大事に抱えてた。
「……馬鹿」
アイツが言ったことがずっと気になっていて、呟いていた。
(ユウには舞台の才能あるから)
言葉の内容に反して、幼馴染の言葉には確かな拒絶があって、私はその続きをどこかおびえながら受け止めた。受け止めるしかなかったんだ。
ずっと一緒に演劇をやっていられると思ってたのに、三年生になるとすぐにアイツは演劇をやめてしまった。夏の大会に出ることもなかった。どうして、と聞くと、アイツは答えた。
「僕には無理だよ。『そんなこと』ばかりやってても何もならない。『そんな事』より受験に備えないと」
やりたい事が出来たんだ。
そう嬉しそうに言うアイツを、私も最初は応援できてた。我慢できるつもりだった。
でも、演劇を続ける私と『そんな事』と演劇を切り捨てたアイツとでは、やっぱり上手くいかなくて、冬を迎えるころには、私とアイツは殆ど疎遠になっていたんだ。
今思えば、あれは最初の失恋だったのかな。それとも、どこにでもありがちな幼馴染との別離だったのかも。
今年こそ一歩踏み出そうとして用意していたマフラーを、ほとんど惰性だけで編み上げて、なのに気がついたら、それを渡す事すら出来ないくらい、私達は離れていたんだ。
砂浜を歩いていると、冬の間は閉まっている海の家の近くに、ぽつんと出しっぱなしになっているベンチと、その横にたたずんでいる野良犬を見つけた。
首輪をしていたけれど、その首輪はとっくに擦り切れてぼろぼろになっていて、かろうじて犬の首に巻いてあるだけのように見えた。
怖くなかった。
ただ、野良犬も私と同じで捨てられたんだって、そう思った。
ずっと一緒にいられると思ってたのに、あいつが勝手に演劇を捨ててしまったみたいに、野良犬の主人もどっかにいってしまったんだって。
だから、そっと近づいて、犬の首輪をはずしてやった。
犬は私の行動になんか全然興味ないみたいに海を見てた。
代わりに、もっていマフラーをかけてやったときだけ、犬は私を見た。
余計なお世話だとでも言いたげに犬は頭を振ったけど、巻いたマフラーが簡単には落ちないことがわかると、犬は何事もなかったかのようにまた海に視線を戻した。
これ以上犬の邪魔をしてはいけない気がして、私は小さく「お邪魔します」と呟いて、犬の隣のベンチに座ったんだ。
おおいぬ座とこいぬ座、オリオン座の冬の大三角が空いっぱいに広がっていて、潮騒がなんとも耳に心地良かった。
不意に、闇の中に野良犬が歩き出した。
「待って」
と声をかけても、振り向いてすらくれない。
だから、意地になったのかな。
「行かないでよ! 一緒にいて」
と叫んでた。
野良犬は、私なんてまるっきり関係ないそぶりで歩いていく。
同じだ。
アイツも、野良犬も。
それで、初めてちゃんと自覚したんだ。
ああ、アイツとはもう二度と一緒に舞台に立てないんだ。アイツはもう、自分の道を歩き始めたんだなって。
あの時と同じ冬の夜空。
シリウス浮かぶ河を、野犬と独り。
ただ、見つめている。
野犬が連れて来たかったのはここなんだ。
河に浮かぶ星々が余りにも綺麗だったから。
きっと、これを見せたかったんだ。
水面に波が立つのにあわせて、ゆらゆらと星々が揺れる。そのたびに、きらきらと光が水面を泳いで、まるで海の中にいる蛍が思い思いに戯れているように見えた。
遺跡に感じていた危機感が溶けていく。
この景色をずっと見ていたい。
ずっと、この場所にいたい。
そんな思いを見透かしたように、野犬が大きな声で吼えた。
違うよ、そうじゃないよって。
野犬の促すままに、改めて水面を、そこに浮かぶ星空を見る。
河の流れに、星々が揺れている。
そっか。
……そうだったんだ。
どうして理解できたのか、今となってはわからないんだけどね。
その時の私は、野犬が言いたいことがなんとなくわかってしまった。
この景色そのものが、魔方陣のひとつなんだ。
あの時。
私は、「一緒に」というだけで、その先の事なんて、何も考えていなかった。
私が願っていたのは、大切な今が変わってしまわない事だけ。
だから、アイツもあの犬も私の言葉になんて耳を貸してはくれなかった。
野犬は私を正しい行き先に導いてくれた。道に迷う私を連れてきてくれた。どこに進めばいいのか、ちゃんとわかっていたんだ。
「キミはすごい」
野犬は、じっと私を見つめている。
「マフラー、勿体無かったなあ。今持ってたら、きっとキミにプレゼントしてたのに」
野犬が吼えた。
この島に放り込まれて、流されるまま遺跡に入って。
何が出来るのか、何をしたいのか、私はいつも迷ってる。
だけど、もし、次に誰かに「一緒にいて」と言う時にはね。
どこに行きたいのか、どうしたいのか、せめて、私の目指すものを見つけていたいよ。
「少しはキミに恥ずかしくないようにしないとね」
そうして、野犬の吼え声に送られて、私は最初の探索を終えたんだ。
ねえ?
私は私を、どこへ連れて行くのだろう?
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