必殺技って、叫ぶのが基本みたい。なんのことやら。
あ、でも、腕を振るときにでも「えい」って口にすれば、普通に振るよりずっと力が入るんだよね。人間の体の仕組みってやつ。
ハッシュハッシュ叫んでる時は、ちょっと気持ちよかったりして。
リリさんと、わん太さん、この島で出会った冒険者でも特に不思議な二人。
リリさんにあったときは、最初、神様か何かに出会ったのかと勘違いしたくらい。
日常の気配って言うのかな、普通日本に生きてたら絶対に感じ取れるはずの共通点、みたいな物を一切感じない人。リリさんはどこか、超然とした、達観した空気をした、不思議な人だった。
流石に今は神様だとは思ってないけど、不思議な人だっていう印象はずっと変わってない。
わん太さんをみていると、いつもいいたくなる言葉があって、私はいつもそれを言わないように飲み込んでる。気をつけないと、絶対に口を滑らせてきっと後悔してしまうから、わん太さんと一緒に居るときは心休まる時がない。
わん太さんってどういう冒険者なんですか? なんて聞かれたらやばいよね。
「ジェントルワン」って言わずに我慢できる自信がない。
……ああ、考えただけでも怖い。
「はぁ……はぁ」
私自身の荒い息が何度も耳についてしまって、I-podのコードを抜いた。本体とコードをそのままポケットにつっこむと、急に置かれている状況がリアルなものに感じられて、もつれる足を必死になって動かして、走る。
背後からはぐんぐんと四足歩行の獣が立てる足音が聞こえてきて、思わず振り返ると、野犬は今にでも私めがけて飛び掛ってきそうなほどに近くまで追いついてきていた。
逃げられない。
咄嗟にそう思って、絶望に足を止めそうになる。
止まらずに済んだのは、勢いがついていたから。止まれなかっただけ。
ただの惰性でも、止まってしまわなくてよかったとすぐに思い直す。
このままずるずると時間が過ぎていってしまうだけだとしても、もう他にどうしたらいいのかわからないんだもん。
……ううん。違う。
やらなくちゃいけないことはわかってる。
でも、踏ん切りがつかないだけなんだ。
『狩り』だなんて割り切れない。
……いきなりそんな事を言われたって、出来ないよ。
だって。
だってそうでしょう?
この島に来て、遺跡に入る前に私が見たものって、それはすごかったんだ。
空には、見たこともない生き物とか、天使とか魔女さんが飛んでいてね。それだけで驚いていたのに、道を歩けばどう見たって人間じゃない人たちが思い思いに談笑したり商談してたり。
かと思えば、普通の駄菓子屋さんまであった。
店長さんは何故か包丁を持っててちょっと怖かったけど、見ず知らずの私に懐かしい駄菓子をひとつただでくれた。そのすぐ隣にはおもちゃのカプセルに入った火の玉が飛んでて、最初は驚いたけど、話してみるととても気さくでね。ちょくちょく飛んでくるナンパじみた冗談にはちょっと困ったけど、楽しかった。
だからかな。遺跡に入って、歩行雑草に襲われたときも、私は心のどこかでこの人もきっといい人だってそう思ったんだ。なんかの冗談だって。
だってさ、遺跡に入っていく冒険者と、遺跡に住んでいる魔物って呼ばれる怪物たちと、一体何が違うの?
私は、相手のこともこの島のことも何にも知らないで、何ひとつ覚悟なんて決めてなくて、ただ『襲われたから』っていうそれだけの理由で、成り行きで歩行雑草を殺したんだ。自分がなにをやっているのか、自覚しないまま。
もしかしたら、あの歩行雑草だってこの島に来た冒険者だったかもしれないのに。
誰かが聞いたら偽善だって嘲りそうな後悔に囚われて。
自衛のために切りつける事も、試すために捨ててしまう事も出来ずに、私はただ短剣を持て余していた。
ほんの数刻前のこと。
中年のおじさんとその連れの不思議な人と別れてから、私はすぐに引き返そうと思ったんだ。幸い、魔方陣からまだそんなに離れてなかったし、襲われる前に引き返すことくらいはできそうだったから。遺跡から出たら、まず他の人たちがどうやってこの島で暮らしているのか、ちゃんと調べてみよう。そう決意して、ひとまずは来た道を戻りかけたんだよね。
だけど、私はやっぱりこの島の怖さとか、ルールなんて全然理解していなくて。きっと、歩行雑草を殺してしまってから、ぐずぐずしすぎていたんだと思う。
ここはもうとっくに安全な場所じゃないってその時は理解していたはずなのに、私は身勝手な感傷に身をゆだねて座り込んでた。
もし、あの不思議な二人に会わなかったら、今頃私は野犬に食べられてしまっていたかも。
歩き出してから気がついたのは、どのくらいだったかな。
遠巻きに一匹の野犬が、私のことをじっと見つめてた。
その犬は見るからに凶暴そうな巨大犬で、当然首輪なんてついていなくて、嫌だな、と思ったのを覚えてる。
すぐに走ったら刺激してしまうかなと気がつかないそぶりで歩いていたんだけど、野犬はつかず離れず私についてきた。
だから怖くなって。
ふと見ると、野犬は確かに私を見て、にやりと舌なめずりをしたんだ。
咄嗟に走りだしてた。
もう刺激するとか考えられなくなってた。
怖いって気持ちばかりが後から後から背中を押して、私は、道を見失ったんだ。
逃げなきゃって、それだけを考えて。
短剣を両手で抱えて、I-PODはポケットに突っ込んだまま、全力で走った。追いつかれるのはもう時間の問題。汗でシャツが背中にべっとりと張り付いてる。前方から吹き抜ける向かい風は、こんな状況じゃなかったらさぞ気持ちよかっただろうに、今はただもどかしいだけ。短剣を抱えたまま、惰性と、ほんの少しの気力でもがくように振り出した足が、踏み込んだ大地の衝撃を吸収しきれずに、もつれる。
地面が、近づいてくる。
強引にもう片方の足を踏み出して、無理やり体制を整えると、一息、後方に目をやった。
もうとっくに追いついていて、飛び掛ってきていてもおかしくないのに、野犬は私との間に3mほどの距離を保ったままじっとこちらを見つめている。
……ああ。そっか。
私が疲れきっちゃうの、待ってるんだ。
「たすけて……! ……助けてよ」
力の限り叫んでも、かすれた音がゼーゼーと漏れるだけで、音になってくれない。
野犬が一歩踏み出した。
思わず目を閉じて、最後のときを待つ。
……最後? やめてよ。
こんなのってないよ。
「わんわん」
という吼え声が聞こえて、身をすくめた。
獣の吐息。私の荒い息遣い。
風が吹き抜ける、草花が擦れ音。
足音。
それも、野犬のじゃない。もっと大きな、もっと俊敏な、でもどこか……牧歌的な。
……え?
目を開くと、何か巨大な白い塊がこちらに向かってすごい勢いで飛び込んできた。
……え゛え゛えええええええええええ!
「え、ちょ、ちょっとなに!?」
疲労も忘れて叫ぶ。
自分の事ながら情けないけど、さっきの切迫感なんてどこかいっちゃうくらいの間抜け声。助けてって言った時の数倍の声量で、私のピンチってなんなんだ一体って、思わずセルフ突っ込み。
白い塊に押しつぶされて倒れると、白い塊は
「わんわん(これは失礼)」とすぐさまどいてくれた。
尻餅をついたまま、唖然としてその白い塊を見つめる。
犬、だよね?
野犬なんかじゃないよ。小さな女の子なら背中に乗っちゃうんじゃないかってくらいの大きな犬。白だと思ったけど、ちょっと雑種入ってるのかな、クリーム色の綺麗な体毛。それに、落ち着いてる。ちょ、ちょっとジェントルマンっぽい? いやいや、犬がジェントルとか、そんな。いやいや。
「わんわん(おや、お困りですか。おっと、野犬さんから目を離さずにお聞き下さい。油断すると噛まれちゃいますからね、はっはっは)」
「え……はあ」
「わんわん(手助けして差し上げたいのはやまやまですが、お嬢さんは冒険者のご様子。直接介入するわけには参りませんし……必殺技なら可能でしょうか)」
ひ、ひっさつわざ?
っていうか私、今リアルに犬と会話してる! 意思疎通してるよ!
ど、どこから突っ込めば?
……野犬の言う事は「ガルルル」ってだけでさっぱりわからないのに……。
「わんわん(なぜ戦わないのです?)」
「だ、だって……切ったら、殺しちゃうかも……」
「わんわん(ふむ……では、そちらがお持ちのコートを短剣と腕に巻きつけて、もぐら叩きの要領で上から叩いちゃいましょう。なに、切らなければ問題なしです)」
…………。
………………。
うわ……自己嫌悪……そんなの、考えもしなかったよ私……。
「わんわん(ハッシュ、ハッシュと唱えながら相手の鼻先に叩きつけるようにするといい感じでしょうか、上からの攻撃は犬族共通の弱点ですし。そうそう、慣れたら手加減してあげてくださいね、はっはっは)」
私、すごく現金だ。
隣に誰かがいて、助言してくれる、見守ってくれるだけで、もう動けないと思ってたはずの手足に力が入るのがわかる。
助けてくれたその犬の言うとおりに剣を構えて立ち上がる。
野犬を見ると、その顔が心なしか青ざめて見えたんだ。
ごめんね。
「ハッシュハッシュハッシュハッシュハッシュハッシュ」
助けてくれた犬(わん太さんって言うんだって)は、私がハッシュハッシュ唱えながら野犬を叩いているのをお座りしながら黙ってみててくれた。それで、もう大丈夫だろうって判断したのかな、私に一言だけ「わんわん」と言って、走り去っていってしまった。
わん太さんの向かう先に、一人。小さな女の子が見えた。
きっと飼い主……違うや、お友達なんだろうなって、そう思った。
最後にわん太さんがなんて言ったかって?
えへへ、内緒。
それから数時間もした頃かな。
道に迷って途方にくれてると、さっきの野犬がまた私のところに来たんだよ。
何故か大きな肉とパワーストーンを置いてどっかに行っちゃったんだけど……私、懐かれた?
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